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人生のCanvas Part2 井上雄介のぼやき2



やまゆり園事件献花の旅と2年過ぎた今。

もう今年も9月。振り返ると2年前はやまゆり園事件を受けて相模原まで献花の旅に行ってたんだ・・・。2年過ぎて見れば、危惧してた通り世の中がどんどん崩壊していっている。

まず各省庁や自治体による水増し雇用の発覚。40年以上と言うから唖然ともするし、官僚がする事はやっぱりこんなものか・・・・と言う気にもなる。2000年代のころ、障害者自立支援法の悪法改正に抗議と反対する障害者が全国から集まった。

当時新潟からもリフトカーを運転して車椅子の中間と一緒に厚労省まで抗議集会参加に行ったのを思い出す。なのに1階の物置の様な会議室に全国各地からの参加者が全員詰め込まれ、障害福祉課の課長すら出てこない。省内のエレベーターへのゲートには警備員が居て車椅子の参加者などが「通せ!」と言っても立ちはだかる。

知られてないけど、やまゆり園事件の2016年4月には障害者差別解消法が施行された。世界中が障害者差別「禁止」法を数十年前に成案させているのに、わざわざ「差別解消」法として逃げ道を作る厚労省の姑息な手段。これが日本という国の実態、だから確信犯的に水増し雇用を40年も続けてきた。

もし諸外国の様に「差別禁止法」なら省庁や国を相手に告訴出来るのに。

この「機会の喪失」が何故集団訴訟にならないのか不思議な日々。同列に思うのは医科大の試験女子一律減点問題もある。「女だから一律に試験の点数を減点しても良い」・・・・こんな戦前の様な男尊女卑の思想が未だにあることに驚いた。でもこれも集団訴訟にも、大問題にもならないし当の女性側から怒りの声をまったく聞かない。怒りや正すべき事に怒る元気すら無い、これはどうなってしまってるんだろう。

2年前、献花の旅に行ってた事を思い出し、最近の世情を見れば世の中はだいたい予想通りに悪い方に進んでいる。処方箋は見つからず、個々がプランBやいろいろ備えて行くことなのかなと思う。

   *

=====以下は2年前の献花の旅の投稿です。
先週9月12日〜16日までやまゆり園哀悼の旅に行って来ました。新潟からは約4時間、相模東ICを降りて国道20号を約10分、相模川の桂橋の渓谷の脇にあります。当日はもう暗かったのですが献花台は思ったより小さく、運動会のテントの1/3
くらい、正門の右脇に設けられて居ました。

新潟県内もそうですが入所型のコロニー施設は街中から外れたところ、山奥だったりそう言うところにあります。立地的にはそういう場所でそれでも近隣は民家もあり、1週間の間には4〜5人単位で近所を散歩しているのを見かけたので少しずつ日常を取り戻そうとしているのかも知れません。

何度も献花に行って、ちょうど職員さんが花を交換しているところでお話が少し出来ました。職員のひとも内部の情報はニュースなどで初めて知ると言う事、10月中旬以降に予定されている「19名を送る会」も知らなかったです。
いろいろな事は聞けませんでしたし、敷地内は立ち入り禁止だったので園長さんには会えませんでしたが19人の方のこと、聞いてみました・
「匿名にされてしまったけど、みなさんコロッケやとんかつが好きだったり、好きな歌があったり、好きな服や好きな人も?いたんでしょうねえ・・・」。職員さんは目に涙を浮かべて何度も頷いていました。職員でもまだまだ悲しみが続いているのですから、残された入所の人たちはどれほど悲しいか・・・園内を見ていると、ホントに悲しいだろうと。何度も献花に行った際もその度に胸がつまりました。
  *
やまゆり園から国道413号を15〜20分ほどで緑区津久井支所があります、市町村合併の前はこの辺は津久井郡だったそうです。この支所の3階に津久井社会福祉協議会があります。話を聞いて見ようと寄ったのですが「どうでした?」と逆に聞かれ、市や社協には全く情報が来ないことを知りました。
それでも社協のひとなので事件についていろいろな話を持てました。

それ以外に心に残った事が幾つかあります、車中泊をしていた所、パトロール中の職務質問を受けたのですが趣旨を話した所、警官の娘さんが視覚、聴覚と肢体不自由の障害児であること、4歳児か4年生だそうです。他人ごとに思えない事件だし娘さんの将来をその警官さんは案じてました。

また献花の際、何度か献花に来る人が結構いました。花屋さんでも「献花に行く用の花は結構出てます、痛ましい事件でしたから・・・」と。厚木から来られた老夫婦さんは孫が障害で、厚木にも同法人の厚木やまゆり園があるそうです。お父さんは事件で心が折れて行きたくない!と。でもお母さんが「事件に負けたらこれまでの積み重ねがダメにされる!」と来られた層です。

また翌日も厚木から甲府に向かう途中で献花に寄ったご夫婦ともお会いしました。花も前日と沢山入れ替わっていて、献花に来る人はまだまだ絶えないんだなあ、と実感です。
まだ気持ちがまとまりませんが、まず報告を。事件を風化させては行けないし、積み重ねて来たものを戻すことがあってはならない。尚そう強く思う献花の旅でした。改めて19名の犠牲になられた方のご冥福、まだ治療中の方の一日も早い回復をお祈りします。

# by lifecanvas2 | 2018-09-22 09:08 | 振り返る事

4/28(金)即興ソロ演奏1st & 2nd 会場:梅龍 のお知らせ

気づけば年明けてもう4月。昨年末から不覚にも風邪を引いて2月中位までグズグズ。身体は正直で大好物の刺身を食べたい!と思わない日々が続いたなあ、そんなのどうでも良いんですが。

   *

演奏の告知です。
Free Improvisation 即興演奏(ソロ演奏・独演)

「水平線。浮かぶ点と沈む点。」Vol.3

日時:2017 4/28(金) 1st 18:30 ~ & 2nd 20:00 ~(予定)〜入替制
場所:梅龍 新潟市中央区古町通9番町1468-3 025-311-7852
料金:¥2,000- (1drink付) 〜要予約
   (カウンター6〜7席程なのでお店に確認下さい)
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Vol.3、という事は今回で3回目です。ホントはブログなり告知しなければならないのにすみません。2月はまず初回。今思えば来ている生徒が「聴きに行きたい」にお店に聞いたらもう常連さんで空きが無くて申し訳ないでした。3月は生徒にはMailしたものの、こう言う告知を忘れてました・・・。まあ2度目は予約に余裕があるようでした。

オーナーの小川さんのご好意で今回3ヶ月続けての3回目。正直、3回続けてフリーインプロと言うのもどうなのかな?と相談しました。小川さんは音楽好きで生まれ育った静岡で静岡おでんと音楽に囲まれて育ったとの事。このお店では毎月1回、ジャズやフォーク、クラシックなど?生演奏の機会を設けてきたそうです。お客さんも音楽好きで好みもいろいろ!そんな訳で最初お会いしたのは1年半近く前でした。2月の初回の前に打ち合わせに行き、「いわゆるジャズでもないし大丈夫ですか」といろいろ相談したところ、興味を持ってもらい今回の3回目に至ります。

個人的な思いでは、新潟でまだフリーインプロの機会が熟すにはまだ5年から10年かかるのかもしれない、もちろん自分自身でもフリーをするためにはたくさん課題もあって考える事思うことやるべき事はおっぱい!いっぱいある訳です。それがひょんなキッカケからソロ1時間×2ステージ、お客さんも戸惑うだろうしもちろん自分の中でもいろいろな事が起きなんとか2回演奏させてもらいました。言わばお客さんの言うところの「井上さんの実験に付き合ってるんだよ」と。確かに!そう言うこともそうです、いやはやいろいろあります。

3回続けて前衛と言うかフリーインプロ。前衛おでんの店になっても良いのだろうか?。そんな心配はよそに「GW突入前にまたわからない世界にやっちゃって下さいよ」の様なオーナーさんのご好意、ありがたいことです。どうなるか毎回分からないのですが今回もやってみます。

  *

僕のフリーインプロの衝撃は恩師、加藤崇之さんでした。25年くらい昔になります。Lessonでは寡黙でオーソドックスなJazzですがライブはこの人はどんなだろう?・・・新宿PITINNに聴きに言ったのが最初です。トリオだったと思うけど、地の果て、冥界、どっか違う世界から届いてくるような幽玄な音やノイズや音もデカイしとにかく理解を超えた前衛で衝撃を受けました。

衝撃を受けてアパートに帰っても(なんだ?!あれは・・・)そんな感じで何ヶ月も内蔵を鷲掴みにされるような感覚が残ってしまって、生活も苦しいのにこれは何なのか?と答えを求めて何度も聴きに行ったな。。お客さんもいつもほとんど居なかった。未だに答えは分かるような分からないような気がします。

  *

僕自身のフリーインプロのスタートは2003年と思います。当時ユニットだった高見はつ未ちゃんVoにイラク戦争反対音楽集会だったかな、ロックライブハウスに呼ばれて行きました。フォークシンガーさんたちが大勢代わる代わる歌い、途中は写真やスライドでイラクの状況を。。。もう滅茶苦茶な凄惨な死体の写真も。でもそれは間違いなく遠い空の下で起きている現実、人間がぐちゃぐちゃになってしまっている、、、とにかく物凄いショックだった。

僕達のDuoは一番最後だったのだけれどもはつ未ちゃんに「悪い、オレソロするから2、30分くらい自由な時間、先にちょうだいよ」。無我夢中でフリーインプロとなりました。それが最初です、以降15年くらいなのか。。機会があると幾度とやって来ましたが、その度にまだまだダメだ、落ち込み、試行錯誤、基本に戻ったりいろいろです。

そんな訳でふと浮かんだ「水平線。浮かぶ点と沈む点」。これテーマに機会が何回あるか分かりませんがまず2年頑張って見ようと思います。

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(前回、飲み仲間の富山さんが撮ってくれた写真)

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2/10のちらし

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3/17のちらし





# by lifecanvas2 | 2017-04-08 08:13 | 演奏のお知らせ〜他

19人の名も無き犠牲〜二重の殺人を忘れない

7月26日、2016年。なんとも痛ましい信じられないような事件が起きた。相模原やまゆり園での障害者を狙い討ちにした虐殺事件。明日で3週間にもなろうとするけどオリンピックやいろいろな世間の騒ぎで事件の本質がすっかりかき消されてしまった。

20代なかば以降からずっと障害者問題に関わって来たり個人的に親しい友人、悪友とさえ呼べる障害の友達も多いし何故ここまでの事件を起きるまで許してしまったのか、とても苦しい無念と整理出来ない気持ちが続いている。

自分自身、10年以上前にうつ病で衰弱してご飯も食べられず精神病院で点滴を受けて食事介助から療養、半年で退院して主治医の清水先生は「あなたは躁うつ病だよ」と。自分でも数年は合点が行かなかったけど、若い頃から衝動的に物事に突き進んでは燃え尽きて動けない時期が季節ごとにあったり(・・・なぜ今しなくてはいけないことが山程あるのに・・・動けないんだろ?)の経験があった。主治医によると中年以降は躁状態があまり出なくなりうつ状態の方が続いたままになるそうで、それも受け容れるように慣れてきた。祖父も躁鬱だった世の中見ると仕事人間や中小企業の社長さんやアクティブに動く人を見ればああ、この人も躁鬱なんだろうなと思うしいろいろだ。

   *

話を戻せば今回の事件、当初からおかしいと感じたのは犠牲者の匿名報道、「19名の重度障害者」一括りにしアルファベットと年齢で記号化さえされてしまった。事件後から各方面の当事者団体から「生き様や人となりがあったのだ!」と抗議や声明が出されているけれども遺族の意向、それすらも定かで無いのに遺族の人権を優先する。おかしい。寝ていただけで普通に迎えるべき朝、暮らし、人生を奪われたのは19人の犠牲者なんだ。そこにまず大きな差別があることを報道できないし考えられない。ある障害団体では「障害者は死んでも差別されるのか」とのコメントさえ読んだ。

  *

次にまったく理解できないのは、21世紀の現代に置いて人間の尊重、つまり人権を踏みにじる差別よりも虐待よりも虐殺が起きたのにすでに世の中から忘却が始まっている事 。事件当時から犯人の異常性や思想に特化したニュースばかり流れ、建前では言うものの「19人の障害者が犠牲」「社会に対する問いかけであり考えていく必要がある」では上辺でしかない。

盲ろうの福島智さんは事件後すぐ声明を出した「この事件は犯人と社会による二重の殺人になることを危惧している」。その通りで3週間近くで生き様、人となりを社会からすべて抹殺された。ちょうどオリンピックもあるので日本中がニッポン!連呼の騒ぎになり・・・そのニッポン!の歓喜の影にはには19名の犠牲者は含まれてないんだ、そう考えるとやりきれない気持ちになる。それすらも分からない民族性はどこで、何を、どう、間違って来たのだろうか。

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おそらく、やまゆり園の日常やいろいろな障害者の暮らしや人生、社会が迷惑をかけ障害者が抱える問題、無理解、偏見、差別があるのだろうとは推測出来る。十年以上前、障害者作業所の所長だった時代、それ以前か、介護保険も始まりその頃である。いろいろな障害者に「今後、障害福祉の将来、社会はどうなっていくんだろねえ?井上さん」と聞かれる度に「おそらく弱者排除、切り捨ての時代が始まるだろうねえ、年金も生活保護も削減されるだろうし、差別も酷くなるだろうね。だからもう一度障害者運動の必要も出てくるだろうし、自分たちで力をつけて闘って勝ち取っていくしか無いだろうねえ」、なんども言った覚えがあるし、現に事件後そう言う事を覚えていた友人は「井上さんは世の中は悪意に満ちているからと勝ち取って行かないといけないと言ってましたね、覚えてます」と私信を頂いた。

   *

差別はあるもの、として今回の事件後も、物事でもなんでも進めなくては行けないと思っている。分かり難いから例えば先天性と後天性で障害を持つ場合。例えば先天性の場合、昔は就学免除と言う制度まであり「障害を理由に学校に来なくても良い」と言う差別があった。いまも形は違うけど分けて教育と言うのも形を変えて残っている。それと事故や病気、何らかの理由で障害を負った場合、溝がある。多分、世の中には後者の方が想像しやすいから、理解しやすい乙武さんやパラリンピックが出来るような選手に感動を覚える。世の中は感動を消費したいけどそんなの迷惑なだけで実はそれすらも差別であることが分かって居ない。

また当事者間でも溝はあり障害者誰もがパラリンピックが好きなわけではない、違う例では手話で歌うのも大きな誤解だ。ろう者と難聴者では必要とすることも全く違ってくるしそう言うことへの思いの底が浅すぎる。様々な障害全般にわたっていろいろなことが言える。

もう一つ例えばで言えば、障害者とボランティアや介助者、通訳者がいた場合、障害児と親が居た場合。本人を無視してボランティアや親に話しかける。長年、実際に多く経験してきたし困った事に問題が起きると障害者自身もボランティアに頼り代弁をしてもらう。こんな事を言うから僕は友人とも喧嘩もしてきたし障害以前にそのひととぶつかったりともに喜怒哀楽をしてきた。

   *

犯人と社会に二重に殺された19名、まさかとは思って居たけど新自由主義以降の効率、合理性、利益主義、様々なものがこんな形になって現れるとはここまでは予想していなかった。この事件以前に酷い差別や問題は起きていたけれども、普通に迎えられる日々を、暮らしを奪われた。無念だったし怖かっただろうしまだやりたいことは山程あっただろうなあ。

優生思想のもとに障害者虐殺の計画を練り実行したのでは言われているようにナチズムの再来であってはならない問題なのに事件がどんどん消されて行くことにとても悔しい。あろうが事に、政府や厚労省は識者による対策チームを作り再発防止に務めると言う。当事者団体も対策チームに入れないし、対策は悪意が社会にある以上ある程度必要だけれども、問題は「再発が起きうるような社会こそ」なのに。もっとも昔から障害者運動を阻んできたのは政府であり厚生省であり、当事者の粘り強い運動で何十年もかけてやっとここまで来たのに、監視を強化するとまでの間違った方向に時計を一気に戻してしまう。

  *

ずっと現場で時間も無く、19名の無念を思うと献花にも行きたい。でもどうも無理だ。なので事件以降、身の回りから出来る事で悼むこと、近所での助け合い、事件についての話を続けている。思いついたのは自分の暮らす地域での献花する場所やメッセージや何かできないかな?と。

事件以降、車椅子での外出や障害児を持つ親御さんなどいろいろ目に見えない恐怖を日々感じる社会になってしまったそうだ。今日は公民館にそういう事が出来ないか相談に行ってみるけどまずは自分の周りから少しずつ長く細くなんだと思ってる。

それにしても多分、国境を超えた人類、社会上の問題なのに無念や脱力感で一杯な終戦記念日。何も学んできていない事に悲しくなる。

まだ暮らして来たやまゆり園の辺りに19名の魂はいると思うと・・・・ご冥福を心からお祈りします。 合掌






# by lifecanvas2 | 2016-08-15 08:23 | 日本システムの終焉

差別の国(続) 〜無関心は暴力より卑劣である ガンジー

ブログを書いたり多分サミットに配慮して隠滅させられる報道姿勢に嫌気がさすのか、今回の沖縄の強姦殺人事件でいろいろメッセージや私信をもらった。自分自身でも悲しくて気持ちもうまく整理出来ないしすべての問題はつながっている思いはあるから続きを書いておかないと。

  *

沖縄の問題に意識を持ったのはずいぶん遠い。最初は亡き父が単身赴任で沖縄に行ってた。その頃ちょうど音楽にハマりだしとにかくパンクロックや英国ロックは特にNo more warや平和や体制に抵抗、ちょっと洒落た音楽で知られるポール・ウェラーのジャム後のスタイル・カウンシルでも「ホワイト・ハウスに爆撃」という曲もあるくらい。時代はサッチャーが登場しレーガンや中曽根の新自由主義が始まる頃だった。そりゃ民主主義が進んだ先進国で抗議が起きるのはもっともだし新自由主義は戦争さえ認める力を持っている。

新自由主義は簡単にいえば大きな政府を止め小さな政府にして政府は社会に出来るだけ任せ自己責任で市場経済に任せる原理、ここで暴走しているからトランプのような人間とピケティなどのリベラルの抑制が「世界では議論」されているのだけれど・・・日本にはない。全く無い。なぜなのか、と言うより無関心でものを考え無いよう教育、思考の操作をされているのだからヤムを得ないんだと思う。

  *

戦争というのは異常な狂気を生む、例えば戦後70年を経て歪な方向に進んでいるけれども開戦前から日本自体狂気の状態にあり蛮行を行い、最終的には広島、長崎の原爆での大量の犠牲も招く。もちろん投下した米国の狂気もある。戦争は狂気な状態を生む。

今回の強姦事件、比較にならないけど思い浮かべる事件がある。何度も繰り返される大学ラグビーの部室などでの強姦事件。毎回起こるたびに、大きく鍛えた屈強なまだ若い輩が酔って女性を暴行する・・・なんて凄惨なんだろう、怖かっただろう・・・逃げられなかっただろう・・・と胸が詰まるのにに繰り返される。

集団や統率やチームワークなどの命令系統、大学を背負って対抗のプレッシャー、勝利したことへの優越感やいろいろ魔が潜み強姦という化物になって現れる。こう言う状態は研究されていて心理学にあるはずだけれどもこの状態は他にも見られる。警察の不祥事からスポーツ、オリンピックなどの各協会の腐敗、国技と言われる相撲でも。高校野球でも活躍しその後ちやほやされて人生を台無しに転落するのもいる。

  *

沖縄で日常的に繰り返される婦女暴行。そして今回の強姦後の殺害。そして犯人は自殺未遂の前での逮捕。翁長知事が言うように「基地がなければ起こらない」それは真実なんだ。基地が必要なのは国家同士の思惑であったり、ものも言えない日本や黙っている日本人がとうとう引き起こしまた繰り返されるという自分たちが加害者だと言う意識が少ない、そう思うと95年から自分自身も忘れてしまっていた問題に情けなく思う。

もちろん加害者も戦争の狂気が産んだ、ある意味、被害者で今回は日本で起きたけれども米国では日常的に事件がある。今は無人爆撃機があるからアメリカ本国の部屋で遠い国の人間をボタンで殺してしまう。誤爆もあるし女性、子どもも殺してしまう。CIAさえ殺してしまった。なので罪の意識に苛みPTSDになる人間も増えている。もちろん自殺者や犯罪に走る退役兵も大勢いる。

昨年もあったけれどもPKOの国連平和維持軍従事者が現地の女性を強姦していた報道もあったけれども己のこととして考えられない卑怯な国では想像力は働かないと思う。今回の事件の構図と酷似しているのに。なので、かねてから胸を痛めているシリアや中東の難民さえ受け入れる風潮さえ生まれないことにずっと胸を炒めてる。たった5000人の難民申請、都道府県で割ればたった200人程度なのに出来ない。そんな国だから人道支援と言葉のまやかしでODAなど世界で六価クロムなどの公害を起こしていることも知らない。

  *

お互い様、おかげ様、お世話様、ものを大事に、そう言う本来あった美しかったはずの日本文化はどこに行ったんだろう。沖縄の問題であればもっと考えればいろいろな考えも出るだろうし悲劇を繰り返さないためにも必要なのに、サミットのために尊い命と事件さえ抹消し伝えない国家、考えない市民。それは犠牲の屍の上を平気で歩くことなのに。これと似たことは東京の電車の人身事故を思い出す、アナウンスに流れうんざりする車内、命一つより自分の用事を優先させないといけない狂気の社会。人民統制の原則がある「武器を与えない、考える時間を与えない、金を与えない」いろいろ当てはまる。

  *

戻って新自由主義などだけど個人的に肯定する部分もあるしリベラルな部分もあって、そこには国家に従属しない依存しない形も模索する必要があると思ってる。例えば最近ん起きているフードバンクの草の根的な展開もそうだし、身近でいえば野菜の直売所ですらそう。日々の暮らしを思えば昔の知恵に学び、おかげ様お互い様、恵みに感謝して、もったいない=命を頂いて日々コツコツ生きる。シンプルなんだ。

原発事故以降の数年、そう言う経験をすることが出来た。地元の人も支援に来る人も身分も肩書も年齢も関係ない。あれだけの天災と事故だから人間ひとりでいきていけないから自然に手伝い助け合い感じて考えていろいろな日々過ぎていく、国家や経団連の経済なんてものは実際役立たないことが身に染みて分かる。

でも沖縄にせよ原発にせよ世界の戦争にせよ、、、考えて継続することがあまりにも無力だ。社会という巨獣に民は無力だ〜プラトン。太古の哲学者さえそう言うのだから、生きる苦しみ、人間の業を感じて背負って無関心でいないよう生きていくしか無いんだと思う。

  *

無関心は暴力より卑劣である ガンジー

たまに 忘れることもあるよね にんげんだもの みつお(嘘 ゆうすけ)



# by lifecanvas2 | 2016-05-23 06:56 | 振り返る事

差別の国 〜「みんな」が抱える闇

沖縄で痛ましい事件がまたもや起きた、記事で読むとなんども繰り返されるのに犠牲を沖縄に強いるのはどうなっているんだろう。「最低でも県外へ」訴えた鳩山元はおかしかったにせよ沖縄県民つまり国民の声を代弁した。その後大きな理想であったとしても今回の事件の前に国家、市民は犠牲を減らそうとプランBの策を考えなかった、ルーピー程度で萎縮し意見も言えなかった。となると市民、国民は同犯の加害者であると思うと哀しい気持ちでいっぱいだ。個人的に最低でも県外なら新潟でも良いと思うのに。

  *

最近、ちょっとしたことから差別の根について考える機会があって昔を思い出したことがいろいろあるからメモのように日記。子供の頃、坂本龍一のFMラジオ番組にデヴィッド・シルヴィアンがゲスト出演した。当時、映画「戦場のメリークリスマス」がカンヌ受賞でその後、同曲にシルヴィアンの詩と歌の「禁じられた色彩」をリリースしたばかりだった。

ゲストのシルヴィアンに最近どんな曲やどんな本を読んでいるとか言うような質問に「非色や三島由紀夫を読んでいる」ような話があってガツンとやられたような感覚だったのをなんとなく覚えてる。まだ小学生か中学生の頃だから海の向こうの音楽に憧れ、文化、文学は読んでても灯台下暗し、日本文学の古典を読んでいなかった、反省。慌てて有吉佐和子の「非色」や三島由紀夫など読んだ。非色、戦後の黒人米兵への売春を通し結婚しその後、渡米の話。子どもだったから衝撃だった。差別がいかに根深いものか・・・物語を通して感じるようになった。

  *

んで最近、Netflixでオレンジイズニューブラックを3まで見終えた。女性刑務所の様々な人種や思想、文化の違いや貧困や格差社会のアメリカ社会の今。ここまで描写して良いんだろうか?・・・と思うほど直球なドラマ。人種の坩堝というけど実際はそうでなくて区分というのかなそう言う形で社会を形成している。なんとなく知っていたのはたまに読む本で日米の人間形成の教育比較の書籍などがある。

興味深いのは、多様性をまず考える教育とスローガンなどのもとに集団一致を目指す教育。自律性もある。子育てでも考え方もあるだろうけど、よく日本だと「子どものために◯◯な未来を〜」などというけどそれにずっと違和感を持っている。おおよそバブルが弾けてから貨幣にしか価値を持たない社会はいじけているけど大人が生きている今のこの時間を謳歌出来ない問題、いろいろ世の中にある問題に気づき考えないし解決もしないでなぜ子どもに明るい未来が来るのだろうか。。

それが集団でものを言えない同調圧力であったり、昨今の安倍政権や震災、原発事故以降のものも言えない空気を読む社会、それが差別の温床になっていることに気づかない。今を生きる大人こそが感じている閉塞感、行き詰まり感を飲み込む社会、問題だらけを解決する努力も怠り、そんな状況で子どもに未来を託すことを愛情とは世界では言わない。諦めとガス抜きの現実逃避だけだ。

多様性の教育には人種や宗教、文化、もちろん障害すべて含む。それは過去の反省を繰り返さないと言うのもあるし問題に気づき解決するべき力が常にあるからだ。みんなとEveryoneの違い、みんなはある物差しにそった人間を指すけれどもEveryoneは沢山の物差しの数からまず認める大きな違い。だから物差しが違う分、衝突し理解をしようと努力し解決点をずっと考えていく。

  *

最近聞いた話で渡米した子どもが黒人と結婚するということで悩む方がいたという話を聞いた。島耕作の漫画であったり有吉佐和子の世界のそのまんまだけど、やっぱり「みんな」は差別を含むんだな・・・・と根深い気持ちになった。当の親たちが理解し賛成しても親戚は蔑み差別を言う、おおよそ先進国とは言いがたい人種差別があるのは哀しいキモチになる。お隣中国や韓国のことも理解しようとせず日本賛美の番組や風潮、オリンピックやスポーツに見られる異様なまでの集団同調と賛美で考えないのだから致し方無い民族なのかなとも思う。すがるべき拝金主義の経済も崩れかけなので、歪んだ自己肯定賛美はもはや気持ち悪い域にもなっている。じゃあそんなに賛美される国ならなぜ今回の事件は起きたんだ?

  *

沖縄の今回の事件、翁長知事の言うとおり「基地があるかぎり繰り返される」悲痛な叫び。大田知事の頃の小学生、強姦事件と変わらず繰り返され今回は殺されてしまった。沖縄の問題は根深いし、子買いの島という話もある。中学校までは各離島にあっても高校は本土にしか無いので高校で寮生活を送るけれども基地由来の様々な誘惑もあって道を踏み外してしまう背景がずっとあるということ。それ以前に子どもがいなくなると学校閉鎖で離島自体が無くなってしまうという危機感。

もう一つ軍の構成も問題で格差社会のアメリカで兵役志願も生活のためなど背景をいろいろ抱えている。議員などは経歴に箔をつけるために従事するけども一般兵は違う、ベトナム戦争からイラクやアフガン後の犠牲や帰還兵のPTSDなど自殺を考えても歪んでいる背景がある。

そう言う中での哀しい20歳の命が亡くなった事。根っこにはいくつもの差別が絡まっていると思うと繰り返さないためには沖縄に強いている犠牲を取り払う、差別を取り払わなくては行けないのに。経済やお金の前にそういうことを考えられないのは、文化、教育、習慣、無関心ならなんて卑怯な罪深い国や市民なんだろう。

「みんな」の幅を広げる、無関心でいないこと、理解をする努力を日々していかないと悲劇は何度も繰り返される、強姦事件も年間相変わらず減らない。東京や各地でそんな事件が起きたら大騒ぎするのに。そう言う空気読む社会なんか嫌だなあと思いながら、投稿!

〜現場行ってこよう、最近いそがしくて音楽に十分時間を取れてないけどこう言う事をコツコツ考えていくことも大事に思ってる。

合掌

# by lifecanvas2 | 2016-05-21 12:02 | 振り返る事


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