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人生のCanvas Part2 井上雄介のぼやき2



19人の名も無き犠牲〜二重の殺人を忘れない

7月26日、2016年。なんとも痛ましい信じられないような事件が起きた。相模原やまゆり園での障害者を狙い討ちにした虐殺事件。明日で3週間にもなろうとするけどオリンピックやいろいろな世間の騒ぎで事件の本質がすっかりかき消されてしまった。

20代なかば以降からずっと障害者問題に関わって来たり個人的に親しい友人、悪友とさえ呼べる障害の友達も多いし何故ここまでの事件を起きるまで許してしまったのか、とても苦しい無念と整理出来ない気持ちが続いている。

自分自身、10年以上前にうつ病で衰弱してご飯も食べられず精神病院で点滴を受けて食事介助から療養、半年で退院して主治医の清水先生は「あなたは躁うつ病だよ」と。自分でも数年は合点が行かなかったけど、若い頃から衝動的に物事に突き進んでは燃え尽きて動けない時期が季節ごとにあったり(・・・なぜ今しなくてはいけないことが山程あるのに・・・動けないんだろ?)の経験があった。主治医によると中年以降は躁状態があまり出なくなりうつ状態の方が続いたままになるそうで、それも受け容れるように慣れてきた。祖父も躁鬱だった世の中見ると仕事人間や中小企業の社長さんやアクティブに動く人を見ればああ、この人も躁鬱なんだろうなと思うしいろいろだ。

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話を戻せば今回の事件、当初からおかしいと感じたのは犠牲者の匿名報道、「19名の重度障害者」一括りにしアルファベットと年齢で記号化さえされてしまった。事件後から各方面の当事者団体から「生き様や人となりがあったのだ!」と抗議や声明が出されているけれども遺族の意向、それすらも定かで無いのに遺族の人権を優先する。おかしい。寝ていただけで普通に迎えるべき朝、暮らし、人生を奪われたのは19人の犠牲者なんだ。そこにまず大きな差別があることを報道できないし考えられない。ある障害団体では「障害者は死んでも差別されるのか」とのコメントさえ読んだ。

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次にまったく理解できないのは、21世紀の現代に置いて人間の尊重、つまり人権を踏みにじる差別よりも虐待よりも虐殺が起きたのにすでに世の中から忘却が始まっている事 。事件当時から犯人の異常性や思想に特化したニュースばかり流れ、建前では言うものの「19人の障害者が犠牲」「社会に対する問いかけであり考えていく必要がある」では上辺でしかない。

盲ろうの福島智さんは事件後すぐ声明を出した「この事件は犯人と社会による二重の殺人になることを危惧している」。その通りで3週間近くで生き様、人となりを社会からすべて抹殺された。ちょうどオリンピックもあるので日本中がニッポン!連呼の騒ぎになり・・・そのニッポン!の歓喜の影にはには19名の犠牲者は含まれてないんだ、そう考えるとやりきれない気持ちになる。それすらも分からない民族性はどこで、何を、どう、間違って来たのだろうか。

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おそらく、やまゆり園の日常やいろいろな障害者の暮らしや人生、社会が迷惑をかけ障害者が抱える問題、無理解、偏見、差別があるのだろうとは推測出来る。十年以上前、障害者作業所の所長だった時代、それ以前か、介護保険も始まりその頃である。いろいろな障害者に「今後、障害福祉の将来、社会はどうなっていくんだろねえ?井上さん」と聞かれる度に「おそらく弱者排除、切り捨ての時代が始まるだろうねえ、年金も生活保護も削減されるだろうし、差別も酷くなるだろうね。だからもう一度障害者運動の必要も出てくるだろうし、自分たちで力をつけて闘って勝ち取っていくしか無いだろうねえ」、なんども言った覚えがあるし、現に事件後そう言う事を覚えていた友人は「井上さんは世の中は悪意に満ちているからと勝ち取って行かないといけないと言ってましたね、覚えてます」と私信を頂いた。

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差別はあるもの、として今回の事件後も、物事でもなんでも進めなくては行けないと思っている。分かり難いから例えば先天性と後天性で障害を持つ場合。例えば先天性の場合、昔は就学免除と言う制度まであり「障害を理由に学校に来なくても良い」と言う差別があった。いまも形は違うけど分けて教育と言うのも形を変えて残っている。それと事故や病気、何らかの理由で障害を負った場合、溝がある。多分、世の中には後者の方が想像しやすいから、理解しやすい乙武さんやパラリンピックが出来るような選手に感動を覚える。世の中は感動を消費したいけどそんなの迷惑なだけで実はそれすらも差別であることが分かって居ない。

また当事者間でも溝はあり障害者誰もがパラリンピックが好きなわけではない、違う例では手話で歌うのも大きな誤解だ。ろう者と難聴者では必要とすることも全く違ってくるしそう言うことへの思いの底が浅すぎる。様々な障害全般にわたっていろいろなことが言える。

もう一つ例えばで言えば、障害者とボランティアや介助者、通訳者がいた場合、障害児と親が居た場合。本人を無視してボランティアや親に話しかける。長年、実際に多く経験してきたし困った事に問題が起きると障害者自身もボランティアに頼り代弁をしてもらう。こんな事を言うから僕は友人とも喧嘩もしてきたし障害以前にそのひととぶつかったりともに喜怒哀楽をしてきた。

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犯人と社会に二重に殺された19名、まさかとは思って居たけど新自由主義以降の効率、合理性、利益主義、様々なものがこんな形になって現れるとはここまでは予想していなかった。この事件以前に酷い差別や問題は起きていたけれども、普通に迎えられる日々を、暮らしを奪われた。無念だったし怖かっただろうしまだやりたいことは山程あっただろうなあ。

優生思想のもとに障害者虐殺の計画を練り実行したのでは言われているようにナチズムの再来であってはならない問題なのに事件がどんどん消されて行くことにとても悔しい。あろうが事に、政府や厚労省は識者による対策チームを作り再発防止に務めると言う。当事者団体も対策チームに入れないし、対策は悪意が社会にある以上ある程度必要だけれども、問題は「再発が起きうるような社会こそ」なのに。もっとも昔から障害者運動を阻んできたのは政府であり厚生省であり、当事者の粘り強い運動で何十年もかけてやっとここまで来たのに、監視を強化するとまでの間違った方向に時計を一気に戻してしまう。

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ずっと現場で時間も無く、19名の無念を思うと献花にも行きたい。でもどうも無理だ。なので事件以降、身の回りから出来る事で悼むこと、近所での助け合い、事件についての話を続けている。思いついたのは自分の暮らす地域での献花する場所やメッセージや何かできないかな?と。

事件以降、車椅子での外出や障害児を持つ親御さんなどいろいろ目に見えない恐怖を日々感じる社会になってしまったそうだ。今日は公民館にそういう事が出来ないか相談に行ってみるけどまずは自分の周りから少しずつ長く細くなんだと思ってる。

それにしても多分、国境を超えた人類、社会上の問題なのに無念や脱力感で一杯な終戦記念日。何も学んできていない事に悲しくなる。

まだ暮らして来たやまゆり園の辺りに19名の魂はいると思うと・・・・ご冥福を心からお祈りします。 合掌






by lifecanvas2 | 2016-08-15 08:23 | 日本システムの終焉
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