今年も8/6、広島に原爆を投下されてから69年が経ちました。つい先日は長岡花火、長岡大空襲を受けての慰霊の花火です。戦争は悲惨な痛みと歴史しか残さないのに、集団的自衛権を始めこの政権が出来てからおおよそ予測した通りにまっしぐら。この日に何を思うのか知らないけど国家と言うのは手に負えない巨大な権力だから恐ろしい事を平気で行い、民を恐怖を駆り立て上手にコントロールする。コントロールされた民は自分で考える力を奪われてしまっている。
震災から来月で3年半、まったく無策なのも国家。集団的自衛権、ウクライナ情勢、パレスチナ問題と憂う自体ばかりで危惧する人は沢山居るけど、自分の住む日本で社会保障が削減されて行き自殺者は3万人推移な事は無関心。死んだ女の子は何を思うのかな・・・・・毎年これを投稿して10年近くになると思うけどやり切れない。合掌
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【死んだ女の子 元ちとせ】
わすれんなよ~わすれんなよ~わすれんなよ~わすれんなよ~わすれんなよ~わすれんなよ~わすれんなよ~わすれんなよ~わすれんなよ~わすれんなよ~わすれんなよ~わすれんなよ~わすれんなよ~すれんなよ~
あけてちょうだい
たたくのはあたし
あっちの戸 こっちの戸
あたしは叩くの
こわがらないで 見えないあたしを
誰にも見えない 死んだ女の子を
あたしは死んだの あのヒロシマで
あのヒロシマで 夏の朝に
あのときも七つ いまでも七つ
死んだ子はけっして大きくならないの
炎がのんだの あたしの髪の毛を
あたしの両手を あたしのひとみを
あたしのからだはひとつかみの灰
冷たい風にさらわれていった灰
あなたにお願い だけどあたしは
パンもお米もなにもいらないの
あまいあめ玉もしゃぶれないの
紙きれみたいにもえたあたしは
戸をたたくのは あたし あたし
平和の世界にどうかしてちょうだい
炎が子どもをやかないように
あまいあめ玉がしゃぶれるように
炎が子どもをやかないように
あまいあめ玉がしゃぶれるように
英訳 (in English)
" Dead Girl " Repose of souls to Hiroshima
It opens and receives.
Striking is me.
door there the door here -- striking me
Don't be afraid. Me who am not seen
It is visible to nobody. Dead girl
I am having died. It is that Hiroshima in that Hiroshima. To the morning of summer
Also at that time, it is seven. The child who died also from now seven is never becoming large.
The flame accepted it. They are my both hands about the hair of my hair. My pupil
My body is a handful of ashes.
Ashes reviewed to the cold wind
it is a wish to you it is -- although -- I need bread and no rice
A sweet candy ball cannot be sucked, either.
Me who burned like paper
It knocks on a door. Me Me
The world of peace is used in how and it receives.
Suck a sweet candy ball so that a flame does not burn a child.
Suck a sweet candy ball so that a flame does not burn a child.
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「死んだ女の子」 詞:ナジム・ヒクメット 曲:外山雄三 梅丘歌曲会館「詩と音楽」
ヒクメットは1902年トルコのサロニカに生まれた。当時のトルコではヨーロッパ強国の利害関係が交錯しており、莫大な負債と不平等条約によってしばられていた。こうした政治的条件の中で、民族解放戦争が起こり、トルコの進歩的文学運動が生まれた。ヒクメットはその革命文学の旗手、指導者であった。彼の詩は終始闘いの中で書かれ、闘いを訴え、闘いを支えてきた。と同時にしいたげられる者への心からの関心と労り、闘う者への賞賛と誇りをこめてうたわれる。ヒクメットの受けた刑は判決にして50年、獄中生活は17年の長きにわたるが、彼の詩には常に明るい未来への期待と確信がうかがわれる。「死んだ少女」「雲が人間を殺さないように」「日本の漁夫」は死の灰をテーマとした三部作をなしており、わけてもヒロシマをうたった「死んだ少女」は広く各国語に訳され、原水爆禁止運動の発展に大きく寄与したといえよう。
Dead girl words: Nâzım Hikme Music: Yuzo Sotoyama The renewal information of a Umeoka song hall "poetry and music" / web rib log"
Outline
Hikme was born to Salonika in Turkey in 1902.
In Turkey of those days, the interest of the Europe strong country was each other interwoven with, and it was bound by an immense debt and unequal treaty.
In such political conditions, the war of liberation broke out and progressive literary movement of Turkey was produced.